そもそもバレエの元になる踊りはイタリアで発祥しました。
これが 16世紀前半、メディチ家の娘・カタリーナがアンリ2世に嫁いだときフランスに伝わり、
バレエが出来たのだそうな。
だからバレエ用語はフランス語です。
余談ですが、この結婚当時 ヨーロッパの先進国はイタリアで、フランスは ど田舎の蛮国でした。
カタリーナは
「あんな田舎に行くんだから ちゃんとしなくちゃ」
と、ダンサーの他、学者や優秀なコックも連れて行きました。
このときもたらされた料理技術が後にフランス料理に発展しました。
そんなわけで、フランスで誕生し 発達したロマンティック・バレエは
ジゼル、シルフィードが上演された19世紀なかば頃、完成しました。
バレエはヨーロッパ中に広まり、
王侯貴族達の高貴な愉しみとなったのでした。
ところが時はすすみ、産業革命。
王侯貴族達の力は弱まり、替わって台頭してきたのは
成り上がりの資本家であります。
この成金おじさん達はバレエに
芸術性よりも 女性の身体を求めたんですな。
イギリスやフランスで
急速にバレエの退廃化が進みます。
「男は醜いから引っ込め。
ねぇちゃん脚もっとあげんかい」の世界ですね。
バレエの悪夢の時代でした。
調べてみると、ちょうど 画家のドガも
この頃の人でした。
ドガは美しい踊り子を描いていますが、
幕の陰に男の姿を描いています。
つまり、この男は 踊り子を物色しているんです。
この時代バレエダンサーは娼婦だったんですね。
ダンサーのほうも それ目当ての下層階級の少女が多かったようです。
こうしてフランスのバレエは 退廃的な娯楽と化し、人々に飽きられ、
暗黒の時代を迎えます。
でも、幸いな事に
北欧やロシアでは王侯貴族の力が残っていたため、
高貴なバレエが生き残りました。
現在のクラッシックバレエは フランスからロシアに伝わったバレエが
ロシアで独自に発達したものです。
(ジゼルの頃までのフランスのバレエを ロマンティックバレエと呼んで区別している)
えーと、クラッシックとロマンティックの違いを
紹介するのは端折ります。
ますます長くなるので。
詳しく知りたい方は
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バレエテクニックだけでなく
この形のチュチュ(スカート)もロシアで開発されました。
ロマンチックバレエの時代は こんなスカートでした。
ロシアで生き延び、改良を加えられたロシアバレエは
1909年、
ディアギレフというプロデューサーに率いられ、
パリへ遠征し、大成功します。
(このときのバレエ公演が バレエ・リュスの事実上の旗揚げとなったようです。オペラ座ではなく、シャトレ座という劇場で上演されてます)
「バレエって エッチなおじさんの低級な娯楽だと思ってたのに、こんな素晴らしいものだったのか!」
とパリ市民は大絶賛。
まぁ、その時のダンサーが
ニジンスキーやらアンナ・パブロワやら・・・
夢の競演だったんだから当然ですが。
こうして、
フランスでのバレエも ロシアから逆輸入の形で
息を吹き返し、
フランス人振付家の手によって再び完成され、
紆余曲折を繰り返し、今に至ります。
だから バレエ用語はフランス語なのに、
ロシアが大きな影響力を持っているんだそうです。
実際にバレエレッスンを受けていると
解剖学的にも生理学的にも
芸術性においても
バレエは非常に完成された分野だと感じます。
(やってる事はスポーツに近いですが、バレエはスポーツではありません!)
先人達の努力と向上心の賜物でしょう。
また、日本のトゥシューズの品質は世界トップレベルだとのことです。
ただ踊るためだけの靴に
これほどの情熱を注いでくれる名もない開発者の努力と
平和で豊かな社会が
バレエという舞台芸術を支えてくれていると思うと
バレエだけでなく、全ての分野において
社会の安定は 必要なのだと感じます。
この間、宮崎駿も アメリカで吠えましたもんね。
(僕らの国が 60年間も戦争をしなかったお陰で アニメが発達できた! )
人類の進歩は 戦争のお陰だなんて、誰が言った?
いかなる分野も平和が大事!
平和を守る 009!
バレエ愛好者も応援してるよーー
と、当サイトテーマに戻ってきた所で、
ジゼルに関する よしなしごとを終わらせていただきます。
半端な知識と駄文におつきあいくださいまして、
ありがとうございました。
2014.12,08