南回帰線 前

   サイトマップ

 

 


 
まるで拷問だぜ。 
  
泥水から顔をあげて、002は前髪からしたたる水を振り払った。
ひっきりなしにたたきつける豪雨の中、その程度では何の効果もない。
ふやけた地面にじわじわと身体が呑み込まれていく。
責め苦でも天罰でも、とにかく今は進むほかない。
 
高台へ。
少しでも水より高い場所へ。
出来なければ二人とも溺死の運命だ。
 
「恰好つかねぇよな。それじゃぁ・・」
背中に向かってつぶやいて、002は二人分の重い体を引きずって再び移動を開始した。
 
普通なら靴を濡らす程度の水たまりも、今の彼らには難所だった。
慎重に深さを推測して、胸から水に入る。
 
今ほど自分の脚を恋しく思ったことはなかった。
   大切なものは失って初めて気づくってのは本当だな。
 
自嘲に喝を入れるように、噴き出した泥水が塊となって横面をはたき、二人は深みに倒れこんだ。
 
這い上がって激しく咳き込むと、背中から同様に009の咳が聞こえる。
 
   よし。まだ繋がってるな
 
スコールの気配を感じた時に、ケーブルは全部チェックし、防水ジェルも念入りに詰め込んだ。
009の体もしっかり縛りつけてある。
 
備えは万全、あとは移動するだけ。
 
それも、ずっと眺めていた、あの高台に。
「すぐだ。009。脚付きの俺様なら3秒の距離だぜ」
 
軽口をとばし、再びぬかるんだ大地に爪をたてる。
 
背中から返事はなかった。
 
 
 

二人が宇宙から戻ってきたのは5日前だった。
 
戻ったというのは語弊がある。
重力に引かれて落下し、大地に衝突したのだ。
 
ないに等しいエネルギーを体内からかき集めて噴射し、落下速度を緩めた。
 
大気との摩擦で燃え尽きなかったのだから、必死の行動が報われなかったわけではない。
 
が、002の脚は負荷に耐え切れず、地上までの距離を大分残して砕け散り、二人とも自由落下に身を任せることになったのだ。
 
自由落下  自由なのは地面に触れる直前までで、接すると同時に限りなく不自由を体験することとなる。
 
002は、自分で作った小さなクレーターの底で意識を取り戻した。
半分埋まった体を引き抜き、ざらざらと崩れてくる砂と格闘して、どうにか地表に這い出してきた。
 
360度、見渡す限り乾いた大地。
人影も生物もまったくない。
気温は高くないのに日差しが強烈で、乾いた風が吹き荒れている死の世界だ。
 
だが、砂地に落ちたのが幸いし、両脚以外欠けているパーツはなかった。
 
大気との摩擦であちこち焼け焦げてはいるが、動けなくなるほどの怪我もない。
今更ながらに、優秀な防護服と人工皮膚を開発したギルモア博士に感謝した。
 
   009は?
 
伸び上がって見渡すと、100mほど離れた大岩の陰に、はためく黄色いスカーフがある。
這って近づきながら、大声で名を呼んだが、その体はピクリとも動かなかった。
 
002の心を冷たい予感が撫でた。
 
大きな岩の向こうに、彼はあおむけで倒れていた。
強い風がマフラーをバタバタなぶってるが、奇妙に静かだ。
 
「009!」
肩をゆすると、頭がかくんと傾いた。
 
瞳は半分開かれ、ガラス玉のような瞳孔がなにもない空中を見つめている。
 
「呼吸を…」していない。
胸に耳を当てても、人工心臓の拍動は聞こえない。
002と違って、009の落下地点は砂地ではなかったのだ。
 
「この・・・大まぬけ!!」
噴き出した感情を抑えきれず、かたわらの大地を殴った。
「なんのために、俺が…」
 
今も海の上を漂っているだろう仲間たちに
こんな姿の009を連れて帰れるものか。

    どんな手段を使っても!!
 
普通の人間なら、意識を失ってから最初の4分が蘇生処置のタイムリミットだ。
だが、サイボーグは違う。
 
生体部分は少ないし、体内に酸素タンクもある。
組織をめぐる血液だって、特別製だ。  
 
まだ、間に合うかもしれない。
  
002は手早く009の防護服を脱がせて、金色に輝く大きなボタンを割った。
中には緊急時の薬品・医療テープの他に、機械の体に必要な応急修理の道具が入っている。
 
数種類のケーブルとメスを前に、002は自分たちの体の構造を記憶に並べた。
 
002と009は、どちらも加速装置を備えているので、呼吸・循環器系はほとんど同じはずだ。
 
心臓も肺も、009の体が大きく傷ついていないのに、2つ同時に壊れるのは考えにくかった。
 
「生命維持に必要な人工臓器は、特に頑丈に作られておる。」
ギルモア博士は言っていた。
サイボーグたちの身を守るため、各々の体を説明し、怪我を負った時の対処法など、よく説明してくれていたのだ。
 
「君たちの肺や心臓は、生身の脳から発せられる自律神経の信号で動いておる。
その微弱な電気信号を脊髄の変換機で増幅・変換し、
人工臓器に伝えておるのじゃ。」
 
 
もし、変換機や臓器自体が壊れていたのなら、打つ手はない。
こんな沙漠の真ん中で、応急キットで修理できるほど簡単な部品ではない。
 
だが、自律神経の信号がうまく伝わってないだけなら…。
 
変換機の入力か出力の修理なら、わずかな道具と自分の力でできるのではないか。
 
逆に言えば、002が出来ることはそれくらいしかないのだが、可能性があるなら試すしかなかった。
 
   もし、装置が壊れていたら? 
 
ちらと頭をかすめたが、無理やり頭から追い出した。
 
002は息を整え、メスを準備した。
009の特殊な皮膚を切るには、この特別性のメスしかない。
 
「すまん、009。少し我慢しろ」
 
うつぶせにして、首の付け根のあたりから肩甲骨の手前まで、脊柱にそって刃を入れる。筋肉がのぞき、人工の血液があふれた。
切り口を慎重に開くと、生々しい組織の奥に、数々の無機質な装置が現れる。
 
ほどなく、002は目的の装置を見つけた。
 
親指の半分もないその装置は、
 
作動してなかった。

 

 

 

 


   
   もし、壊れていたら?
   考えておけばよかった。
  
作動を示す光が消えたままの変換装置を、002はぼんやり見つめていた。
 
こんなちっぽけな機械が壊れただけで、俺たちは死んでしまうのかとか、
他の方法で心臓を動かせないだろうかと
 
そんなことを、宙に浮いたように考えていた。
 
だが、そのうちだんだん腹が立ってきた。
何故だかわからないが、怒りが膨れ上がって、どうにも抑えきれない。
 
こんな小さな機械ひとつであっさり逝ってしまう009に。
 
運命に。
 
そして何より、空から、何もかも見透かしているヤツに。
 
002は数時間前に、生まれて初めて祈ったのだ。
宇宙空間で、奇跡的に009の手をつかんだとき、祈りは届いたと、
そいつに感謝した。
 
それが何だ!!
 
願ったものを与えておいて、すぐに取り上げるのか!!
俺は砂地に落とし、009には岩を用意したのか!!
俺たちをからかって、暇でもつぶしてるのか!!
なぜ俺はあの時祈ったりしたんだ!!
 
後になってから、やはりどうかしてたと考えざるを得ない。
 
だが、その時002は本気で怒っていた。
 
「009!
絶対、生かして、連れて帰るからな。」
 
002と009、二人の生命維持装置の構造はほぼ同じだ。
当然、同じ装置がつかわれているはずだった。
 
002は服を脱ぎ、メスを首の後ろにあてた。
人工頭脳に痛覚をシャットアウトさせる。
覚悟を決めて、刃を進めた。
後ろ手で、自分の変換機を探り当てるのは、度胸と慎重さと、どちらが欠けてもできない。
 
002は慎重さのほうで少しばかり自身がなかったが、
それでも、数分の努力の後、002は自分の変換機を探り当てた。
 
後になってみると、どうにかしていたとしか思えない。
 
最初は自分の装置を009にはめ込むつもりだった。
それでヤツの鼻を明かしてやれるなら、安いものだと思っていたのだ。
 
だが、作業を続けるうち単純な勘違いに気付いたのだ。
 
   俺が自分の変換機を外したら、だれが009にはめ込むんだ?
 
急速に頭が冷えてくるのと反比例して、もっと現実的で可能性のある方法が膨らんでいった。
 
   ひとつの装置を二人で使えないだろうか?
 
002は緊急キットのケーブルから数種類を選び出し、手探りで変換機の出力を分岐させることに成功した。
目の前に同タイプの009の変換機があるのが助けになった。
 
そして009の変換機の出力端子を外し、臓器に続く体内配線に002の作り出した信号を出力している(はずの)端子を接続する。
 
   動け。
ほんの数秒が、ひどく長かった。
 
009の胸が2~3秒小さく震え、規則正しく上下し始めた。
背中に耳を当ててみると、心臓も再び拍動を始めている。
 
どちらも、002とまったく同じリズムで動いていた

 

 

 

 

 


 
生への可能性は消えなかった。
 
が、
一刻も早く仲間と合流しなくては、事態を先送りしただけになってしまう。
 
生命維持機能が動き始めたものの、009の意識は戻らない。
できる限り早く、仲間と連絡を取り、ギルモア博士の元で
009の体を治してもらわなければ、ようやく救い上げた可能性も消えてしまうのは分かり切っていた。
 
ボタンの中から消毒スプレーと防水ジェル、それとテープを取り出して、
009の切開部をふさぐ作業に移る。
防水ジェルは一定時間を置くと、弾力を保ったまま固まり、体内への浸水や細菌の侵入を防いでくれる。
体内装置への影響も少なく、戦いが続く間、幾度もお世話になった。
 
切開部の手当ての後、009の他の傷を消毒し、ふさぐ。

一見、大きな外傷はないと思っていたのに、彼の体は調べてみると、傷だらけだった。
防護服で防ぎきれなかった、大気の熱で焼かれた痕。レーザーの穿った穴。
 
特に右腕のえぐられたような傷。
大気圏通過のとき、腕がちぎれ落ちなかったのは幸運だった。
  
一つ一つを丁寧に消毒して、ジェルを注入し、テープで塞ぐ。
   
作業を続けながら、002は仲間に連絡を取る方法を考え続けていた。

脳波通信は、サイボーグ同士がごく近い場所で作戦を行うためについている装置だから、通信できる範囲は限られている。
002が送受信できる周波数には、ほかに無線周波があるが、これも地球規模では話にならない。
  
 
「それに、居場所を知らせるったって、ここがどこだか俺もわかんねぇし・・・。」
 
002は治療の手を止めて、周囲を見渡した。
 遠くに隆起した連なりが見えるが、それだけでは何の手がかりにもならない。 
 
002は自分の首の後ろの切開部に、手探りでジェルを詰め込んだ。
ケーブルだけは動かさないよう、再び慎重に作業を進める。
 
 
いっそ自分の体に搭載されている無線で近隣の街に救いを求めようか、とも考えたが、
あまりのリスクの高さに諦めた。
 
BGは消滅しても、いや、消滅したからこそ、彼らの、サイボーグの体は貴重なのだ。
どの国の政府も、自国の軍備のためにBGの遺産を欲しがるだろう。
 
そんな情勢の中、満足に動けない二人がどこかの国の軍部に拾われたら…
下手したら、BGに捕まるよりたちの悪い事態になるかもしれない。
 

治療の最後は002自身の脚の断裂部分だった。
 
はるか昔、片足を失い、忙しかったものでそのままにしておいたら、死にかけたことがある。
 
目が覚めてから、博士にこっぴどく叱られた。
君たちはロボットじゃないんだから、もっと体を大事にしろと。
その博士の目には涙が光っていた。
 
以来、博士は全員の防護服のボタンに救急キットを詰め、緊急事態に備えた勉強会をしてくれていた。
 
普段はうるさく思っていたが、今はギルモア博士の親心に助けられている。
 
ひとまず処置を終え、002は顔を挙げた。
すでに日は傾いて、沙漠は茜に染まり始めていた。
 
 さっきから様々な周波数の無線通信に耳を澄ませているが、ノイズ一本でさえキャッチすることができない。
近くに町はなさそうだ。
 
夕暮れの空、遥かな高みをただ一機、旅客機がゆっくり横切って行った

 

 

 

 


 
やがて星々が瞬き始めた。
 
それらは002に だいたいの位置を教えてくれた。
 
   南半球の・・・中高緯度あたりか?!
南米、アフリカ、オーストラリア。
時刻から考えて、たぶん南米。

それでもかなりの広範囲だ。
  
「どうにかして、みんなを呼びたいんだが…。」
009に話しかけたが反応はない。
 
生命維持機能を再作動させることには成功したが、相変わらず意識は戻らないままだ。
 
半分開いた目を閉じさせようと瞼に触れた、が、やめた。
 
「こういうの、日本じゃ縁起でもないっていうんだろ?
しばらく目が乾くのは我慢しな。」
 
002は自分の体と009の体をマフラーで縛って抱きかかえていた。
保温のため、ケーブルを間違ってひっぱって切ってしまわないためだが、それだけではないことは分かっていた。
 
返答がないことを承知で、002はなんだかんだと009に語りかけた。
 
ドイツ人は頑固で融通がきかないだの、
006の料理は最高だが、007が助手に入ると、とたんに微妙な出来具合になる、
イギリス人の味覚は怪しいものだ、
 
だの思いつくまましゃべっていた。
 
「腹減った~」
 
006の話で思い出してしまった。
最後に食事をとったのはいつだっただろう。地面の底の異世界に行く前だから数日は経っている。
 
「あれが喰いたいなぁ。北京ダッグ。あの皮がぱりぱりしたところを中華のクレープ?なんてったっけ?あれに巻いて喰いたい。」
 
よせばいいのに、ますます空腹を感じる話にしてしまう。
 
「だけどあの甘辛いタレはいただけねぇ。やっぱケチャップとマスタードだよな。トリ料理にあうのは。」
 
006に言わせれば、トリ料理どころかすべての料理にケチャップをぶっかけるアメリカ人に中国4000年の味をどうこう言われたくないだろう。
 
確かに中華料理は美味い。だが、いつも中華風だとアメリカの味が恋しくなる。
 
かけるソースくらい選ばせてくれたらいいのに、006は食事時になると、ケチャップをどこかに隠して使わせてくれないのだ。
   
食事の記憶と同時に思い出してしまった。
 
初めて009と出会った時のことだ。
 
BGの基地から命からがら逃げだしたとき、追手をかわし、とにかく生き延びるため必死だった。
 
体の大部分が機械でも生身の部分が残ってる限り、腹は減る。
体力を落として逃げ延びられるほど生易しい相手ではなかった。
 
食えるものは何でも食った。
008が獲ってくる魚があればまだしも、洞窟のこうもりも蛇も、片っ端から捕まえて食った。
 
006は苦心してくれていただろうが、味付けが海水、調理法が直火だけとなると、料理と呼べる代物ではない。
 
今食っているものが、何なのか、忘れたふりをして、ムッと鼻に抜ける異臭ごと飲み込んでいた。
 
そんな時、009が合流した。
最後の一人だった彼は、まだ自分に何が起きたか把握できておらず、とりあえず仲間と言われたからついてきたという様子だった。
 
押し付けられるよう蝙蝠の丸焼きを手渡され、
意を決して、かじりつく・・・かと思ったら、
 
おもむろに胸の前に手を組んで、何事か祈りの言葉をつぶやき、十字を切って食べ始めた。
 
「おいしーか?」005が尋ねると、少し笑ってうなずいた。
 
ただそれだけの事だったが、居合わせた全員がぎくりとした。
肉体だけでなく、心まで奪われかけていたことに気付いたから。
 
   たぶんあの時からだろうなぁ。フランソワーズがこいつを気にし始めたのも。
そう考えると、少し苦々しい。
 
後日、キリスト教徒なのかと尋ねたら、教会で育てられたから習慣になっているだけだと答えた。
 
その言葉通り、彼はずっとこの習慣を続けている。
 
どんなに辛い事件の後でも、死の恐怖と隣り合わせの戦局でも、
食事の前に必ず祈りをささげ、十字を切ってから食べ始める。
 
それを見て、ほかの仲間たちもそれぞれのやり方で、食事と、それを与えてくれた誰かに感謝をささげて食べ始め、
 
そして心が少しだけ上向くのだった。

 

 

 


 
沙漠に落ちて3日経った。
何の変化もない3日間だった。
 
朝になると太陽が昇り、空を横切り、沈む。夜は満天の星が天の南極を中心に回っていった。
沙漠は人どころか鳥一羽飛ばず、空には雲一つ浮かんでない。
 
唯一、夕暮れ空を毎日一機だけ、大型旅客機が横切ってゆくだけだ。
 
遥か高みをゆうゆうと飛行する翼は、ここがまぎれもなく地球で、
いずれ仲間が探しだしてくれる可能性を信じさせてくれる。
 
昨日とおととい、002は眠らなかった。夜、獲物を探してうろつく肉食獣や、盗賊を警戒してのことだった。
 
ここには生けるものは何一つおらず、その意味では十分に安全だとわかった今も、寝入る気にはならない。
 
だが今夜はさすがに疲れが出た。
夜半を過ぎ、ひときわ冷えてきた空気から009を守るように抱きかかえていたとき 、浅くまどろんでしまった。
 
遠い昔、NYのダウンタウンでいきがっていたころ。
毎日車を飛ばし、夜には野良犬のようにたむろしていた青臭くも懐かしい日々。
 
ついさっき知り合った女の子と踊り、彼女が何かに腹を立ててジェットを突き飛ばした。
追おうと手を伸ばしたとき、ぐるりと場面が変わって、空に放り出されていた。
 
ぐんぐん地上が近づいてくる。
すぐ近くを002を追い越して落下していく人影がある。
 
「ジョー!」
自分の声で目が覚めた。
すぐに夢だとわかったが、体に残る落下の感覚が生々しく、心臓は激しく鼓動を打っていた。
 
すぐ傍らに009が転がっていた。
抱いて眠っていたのに、落としてしまったらしい。いや、落としたから、あんな夢になったのか…
 
衝撃で異常がないか、急いで009のケーブルを確認した。
肩をつかむと、息が荒い。うっすらと汗もかいている。
 
   意識が戻ったか?!
   容態が悪化したのか?!
 
期待と焦りが同時にひらめいたが、すぐに原因が判明した。
 
009は002の自律神経の信号で肺と心臓を動かしてる。
肺と心臓だけではない。汗をかくことも、涙で眼球を潤すことも、夜眠くなることも、生命維持活動ほとんどすべて自律神経はつかさどっている。
 
悪夢のため、002の心拍数と呼吸数が一時的に上がったから、009も同じように呼吸と心拍が乱れ、汗を滲ませたのだ。
 
「すまん、009。」
 
まだ乱れている呼吸を抑え込みながら、抱え上げたが、それに答える反応はなかった。
 
002の呼吸が静まると同時に009の呼吸も静けさを取り戻してゆく。
 
瞳は半分開いたまま、透き通っていた。
 
 
冷えた石を飲み込んで、ずっと気付かないふりをしていたようだ。
考えたくなかったが、常に重く付きまとっていた不安。
 
   もう009は死んでいるのかもしれない。
 
心臓と肺と・・・機械の体は送られてくる信号通りに動いている。
ただそれだけの物体になってしまったのかも。
 
002は歯を食いしばって嗚咽をこらえた。
泣いたらすべての希望を自ら捨てることになる気がした。
 
「一緒に帰ろう・・・」
 
声が震えないよう、それだけ言うのが精いっぱいだった。
 
009の目から涙がしたたり落ち、乾いた地面に吸い込まれて消えていった。

 


その日もこれまでのように日が昇り、傾いていった。
002は009に話しかけもせず、ぼんやりと乾いた景色を眺めて過ごした。
 
 
変化はささいなことだった。
 
飛行機がいつもの方角から現れ、近づいてくる。
単調な沙漠に変化を与える 唯一の日課だ。
 
だが、その姿はいつもより大きく見える。
 
   低空を飛んでいる??!
 
気流の乱れか、エンジンのトラブルか、かなり低い位置だ。
 
千載一遇のチャンスが巡ってきた

 

 

 

 

南回帰線 後

 

 

小説トップ

 

ホーム