記憶のない海

後編

  サイトマップ

11

 

ヴーンと鈍い音を立てて、壁の表示に光がともった。

「よかった、まだ生きている。」 ベリンはコントロールパネルを開き、コンピュータを調べた。

「だいぶ痛んでいるようだが・・・・少し待ってくれるかね」

ベリンガーは忙しげに古びたパネルをたたく。

僕が持ってきた小型パソコンに記憶カードを入れ、基地のコンピュータと繋いで、互換性をしらべて・・・。

 

あの手際ならデータを開くのもしばらくかかりそうだ。

 

 

BG基地島の崩れかけた桟橋にThe Big Dipperを繋ぎ、僕と博士はメインコンピュータのある施設に向かった。

 

発電機のけたたましい回転音とともに施設は息を吹き返した。

 

―――基地の記憶媒体を調べ切るまで、どのくらいかかる?

1時間? 2時間?…

002があのトリモチの中で、のんびりおとなしくしてくれているはずがない。

脱出したら、身一つで飛んでくるだろう。

 

僕がこの島に向かうことだってだって、すでに知ってる気がする。

だって、博士と会った工場からS市まで、追跡の気配を感じなかったのに、ちゃんと港に現れたじゃないか。

 

どうやってるかわからないけど、僕の位置は002にばれているに違いなかった。

 

002がここをBGの見逃されていた基地と みんなに報告してしまえば、それで終わりだ。

仲間たちがこの施設も破壊しつくしてしまう。

 

僕はあの時とおなじように、きっとみんなを制止められない。

 

 

僕はベリンガーが手元のパネルに集中しているのを確認して、耳の後ろの人工皮膚をぐいとはがした。奥には人工脳に直結する端子が隠れている。

 

基地のコンピュータと持参のPCを繋いで探すつもりだったけど、仕方ない。

 

危険を承知で 「意識」を基地のコンピュータの記憶媒体に飛び込ませるしか・・・。

僕はケーブルを引っ張り出し、基地の頭脳と自分を繋いだ。

 

額の奥で、いつもは使わない・・使いたくない部分が、高速稼働し始めるのがわかる。

 

―――ウィルスは…見当たらない。行く!

呼吸を整え、自分の「意識」を基地の記憶媒体にダイブさせた。

 

 

 

電子記憶装置へのダイブは今までもこっそりやってみたことがある。

(危険だからと003は禁止するんだけど)

だけど、ここまでスムーズにすべり込めたのは初めてだった。

 

改めて、自分の一部はブラックゴーストを母とする兵器だったのだ思い知らされた。

 

僕は(意識の中の)頭を振って目的を固定した。

今は余計なことは、考えるな。

探さなくては・・・彼を・・・0013を。

 

基地のコンピューターの記録世界はねっとりと生暖かい液体の中のようだった。

 

かつては正確に分類され、規則正しく並んでいたはずのデータは、巨大な怪物にかき回されて散乱した無重力のロッカールームのようだった。

 

ほの暗い空間に漂う記録はほとんどがすでに読み取れない残骸になっていたが、息を吹き返したものもいて うねるケーブルを伸ばしてアクセスを仕掛けてきたりした。

 

中には明らかに人だったとわかる塊もあって、過去の記憶を点滅させながら、苦悶と嘆きを繰り返していた。

 

―――実験体・・・

 

他のメンバーに、ブラックゴーストの実験施設でどんなにたくさんの人が犠牲になってきたか聞いたことがある。

犠牲者の記憶は読み取られ、分析され、次の犠牲となる実験体に改良を加えるために保管されていたのだと。

 

最強の兵器を造るために。

 

僕たちの体を作るために何人の人が犠牲になったんだろう…

 

傍らのデータがふいに009にかぶさってきた。

とっさに払いのけると、それは呪詛の言葉をつぶやきながらモザイク状に崩れ落ちて、消えていった。

 

―――ごめん

 

今となってはどうすることもできない。

彼らはとうに死んでいて、その記憶だけが電子的なデータとして、基地の記憶媒体に保管されているだけだから。

 

僕は意識を堅くしてさらに深淵にもぐった。

 

生ぬるく、ほの暗く、しっとり包み込んでくる空間を、どのくらい彷徨っただろう。

 

今までのダイブの経験では

意識の世界では途方もなく長い時間でも、実際は数分も経っていないことが多かった。

だけど そろそろ限界だ。

 

抜け殻になっている現実世界の自分の体も危険だけど、意識も基地のコンピュータに取り込まれてしまう恐れがある。

 

僕はいったん現実世界に戻ることにして、上の階層に浮上を始めた。

目の前を大きなデータの塊をふさいだ。すでに死んでいるらしく、電子の流れに漂って、ゆっくりと横切っていく。

 

回り込もうとした目の端を、白く小さなものがついと横切った。

―――うさぎ?!

ねっとりと生暖かい死の世界を蹴散らして、それは敏捷に、小気味よく、駆け抜けていく。

 

捕まえようとしたけど、小さな獣は敏捷に方向転換して逃げ回った。

夢中になって追いかけるているうちに、いつしかふわふわと空間を漂っていた足は、黒土のかたい地面を踏み、ひんやりと心地よい風が額の汗をとばしていく。

もう少しでウサギに手が届く、そう思った時に、白いウサギは巣穴に逃げ込んでしまった。

残念だった。

あの白くてかわいい生き物を抱いてみたかったのに。

くすくす笑う声に振り返ると、母がいた。腕には薄茶色のウサギを抱いていて、そっと手渡してくれた。温かい手が上手に抱く方法を教えてくれる。

腕の中で温かく柔らかな生きものの感触が伝わってきた。

 

 

 

 

「今、アクセス権を調べてる。もう少しだ。」

ベリンガーはこの島に自分を連れてきたQと名乗る男を振り返った。

 

その男は立ったままパネルに手を置いて、モニターを熱心に見つめている。

―――何を調べているんだ?

疑問は浮かんだが深入りしたくない。この男は暴力的ではないが、得体が知れない。

自分の作業に戻ろうとしたベリンガーは、襟の陰に見え隠れし、首筋をはしるケーブルに気付いた。

―――?

立ち上がって近づくと、彼はモニターを凝視しているが、普通ならパネルを操作しているはずの指は微動だにしない。

傍らに来たベリンにも反応しない。

 

ケーブルをたどると、片端はパネルの隅の端子に、もう片端はQの耳の後ろに隠れている。

―――ロボット…のはずがない。まさか・・・

しばらくためらったあと、

 

ベリンは Qの帽子を取り、震える指でサングラスを外した。

ふんわりとした栗色の髪、

印象よりずっと若い、というよりまだ頬の線にあどけなさの残る青年の顔が現れた。

 

赤みがかった瞳の奥では、小さな点滅が繰り返されて、彼の頭蓋骨の中で高度な機械的処理が行われているのがわかる。

ベリンは青年の顔に見覚えがあった。

 

「ゼ・・・009・・・」

 

巨大な兵器組織BGをたった9人でほろぼした裏切りサイボーグ。

その中でも、最強の一機。

 

逃げようか…それともこの場で・・・

迷ったベリンの背中に硬いものが押し付けられた。

「おっと、手を挙げてもらおうか。BGの科学者さんよ。」

明るく軽快な声の男が 銃らしきものをベリンに向けて立っていた。

この顔にも見覚えがある。たしか・・

「007・・・」

頭に髪のない中年の男は、大きな目と唇を吊り上げて、愛嬌たっぷりに にんまりと笑った。

 

 

12

 

くるりと光景が変わって、周囲は夕暮れに染まっていた。田舎の小道をどこかに向かって走っている。だけど、思うように足が動かない。腕も重くて、いつもより息も切れてる。

たいして走ってないのに?

ウサギを追った時代と違って、大きく重くなった体が歩みを止めた。

 

数人の少年たちが行く手を遮っていた。

 

僕は彼らのような表情をした子供を何人も知っている。

昔、何度も取り囲まれてひどい目にあった。

彼らは純粋で、無垢で、残酷な遊びが好きなのだ。

隙をみて逃げることが出来なければ、彼らが満足するまで頭と腹をかばってうずくまるしかなかった。

 

だけど、何故か今は彼らの笑顔につられて微笑み返してしまう。

彼らはゲラゲラ笑って代わる代わる殴りつけてきた。

とても痛かったが、みんなはとても楽しそうだ。

「やめてやめて」と叫びながら

何かの遊びに入れてくれているのだろうと一緒になって笑っていた。

 

ずきずき痛む体をさすりながら、家路を急ぐと、ブロック塀の角で二人の主婦が自分を見て小声で話していた。

母と同じ年頃の彼女たちが、関心を向けてくれてるのがうれしくて、笑って手を振ると、眉をしかめて背を向けた。

夕ご飯の支度を思い出したんだな。

急に母が恋しくなって家に急いだ。

 

寒い冬、手に息を吹きかけて彫刻刀を握った。

小さな木切れが、彫刻刀をふるうたびだんだん形を成してきて、ウサギの姿が現れた。

自分は母に贈り物を作っている・・・。

 

―――0013!!

僕は今の状態を理解した。

 

手は動きを止めない。手の中で、あの可愛い生き物が形作られていくのが、うれしい。

母が喜んでくれるのを想像して、彫刻刀を抑えた指にも力がこもる。

 

―――僕は0013の記憶を見てる…記憶の中にいる?!

 

完成したウサギを母に差し出すと、優しく微笑んだ顔は黒い枠に入った写真だった。

周囲には黒い服の大人たちが歩き回ったり、小声で話し合ったりしていた。

母の写真をじっと見た。

それは確かに微笑んだ母の顔なのに、どんな顔だったか思い出せなかった。

 

それから断片的な記憶の再生が続いた。

どこかのおじさんに手を引かれて連れて行かれたこと。

家に帰ろうと夜通し歩き回ったこと。

いつの間にか交番の椅子に座っていて、迎えに来たおじさんが警官に何度も頭を下げた後、帰り道でずっと僕の頭をげんこつで殴っていたこと。

 

しばらく殴られたところが痛かったけど、おじさんの家族や周囲の人が僕を取り囲んでいつものように笑ってくれたから、気持ちが明るくなったこと・・・。

 

あるとき、黒い服を着た男の人がおじさんと話していた。

二人の間でたくさんのお金が行きかうのが見えた。

おじさんが僕を呼んで、外に連れ出した。黒い大きな車が止まっていて男の人が扉を開いてくれた。

―――ブラックゴースト!! 

僕は0013の記憶の中で叫んだ。あれは実験体を狩る要員だ。

だけど、疑うことを知らない0013の回想は続いている。

おじさんがお金を払って僕を車に乗せてくれるんだ。

 

―――ちがう!!

 

いつもは怖いおじさんが優しくしてくれる。

 

―――違う、0013。乗るな!そいつらは悪魔だ。

 

必死で叫んだけど、車は発進し、窓の外の景色が後ろに流れ去っていった。

こんなふかふかの椅子に座るのは初めてだ。そう思った時、記憶は途切れた。

 

目覚めると、大きな丸いライトがいくつも円になって俺を照らし、周りには白衣の男の人が何人もいた。

0013ぜろぜろさーてぃーん』

彼らは俺のことをそう呼んだ。難しい言葉のはずなのに、13番目という意味だと、すぐにわかった。

不思議だ。頭がはっきりしてて、体も軽くて動きやすい。

いろんなことが見るだけで判断できる。

だから、白い服の男の人が科学者だとすぐにわかった。彼らは俺を実験体として大切に扱ってくれたが、俺を好いているわけじゃない。

 

嫌ってるわけでも、あざけってるわけでもない。

彼らに興味があるのは、実験の数値、そこから導き出される開発方針

それだけで、俺が何を考えていようが関係のない世界に住んでいた。

 

 

それに比べて、チームを組むことになった男たちは、俺の知っている人たちとよく似ていた。

自分たちは最新式の機械の体だと自慢していたくせに、俺の育ったところにいた生身の奴らと同じことをするのだ。

 

取るに足りない勝手な理由で、俺を小突き回し、馬鹿にして、頭ごなしに命令してきた。

 

何故そんなことをするのか―――

俺がうまくしゃべれないとか、

体の動きが遅いとか(体の能力を抑えているだけだと気付きもせず)

不格好な外見をしているとか

 

そして、最後に俺を取り囲んで笑うところまでお決まりの行動だった。

 

彼らの顔はどす黒くゆがんでとても醜かったので、俺はちっとも楽しくなかった。

 

かつて周囲の人たちが 俺を見て笑うのは、俺の事が好きだからだと思っていた。

 

ここに連れてこられて、

そうじゃないことに気付いたことが、一番つらかった。

 

 

このあたりからの0013の記憶は切れ切れに散らばっていた。

いくつもの訓練を受けてロボットの操縦も覚えたし、あちこち旅もしたらしいのに、それらは大きな力で引き裂かれた残骸のように細かくちぎれて、記憶の海をふわふわと漂っていた。

 

―――記憶媒体の老朽化にしては・・・

いぶかしんだとき、

目の前によく知った顔が現れて微笑んだ。

―――あのときの、僕だ。

周囲の街並みと、傍らにいるハナ傷のヤス。

初めて0013と出会った時。

だけど、0013の記憶を通して見る光景と、自分の記憶は微妙にちがった。

 

―――僕はあんなに優しそうにほほ笑んだだろうか?

 

ヤスが自分のために0013のパンを横取りしようとしたから、制止して、謝って返した。

当然のことをしたまでで、特に親切にした覚えはない。

だけど、0013の記憶の中で、自分は天使のように優しかった。

 

0013の胸に、暖かくふんわりとしたものが燈るのを感じた。

この人は俺を苦しめて面白がってるんじゃない。俺が好きで笑いかけてくれている。

それが、ただ、うれしい。

 

0013の想いと反比例して、僕はひやりとした。

―――僕は0013の事が確かに好きだった。いい人だと感じた。

だけど、こんな風に・・・0013が想ってくれるほど、あのとき彼が好きだっただろうか?

 

記憶の再現は進む

このひとに何かをしてあげたい。

木彫りのウサギを作って母に喜んでもらったのを思い出した。

あのウサギをあげたら、彼は喜んでくれるだろうか?

急いで、できる限り丁寧に作ったウサギを、彼は受け取ってくれ、

とても喜んでお礼まで言ってくれた。

 

俺はもっと嬉しくなって、この人が俺の特別な人になってくれたらいいなと思った。

 

そう、例えば

 

道で偶然出会ったら手を挙げて挨拶しあったり、

夏の草原でトンボを追いかけて一緒に走り回ったり、

夕方には山の向こうに沈む真っ赤な夕日を眺めて綺麗だねって言いあえる、

 

そんな特別な人になってくれたらいいなと。

そういう人のことを何と言ったっけ?

 

トモダチ・・・

 

もし、トモダチができたら・・・

時々、空想していた。

 

俺はその人になんでもしてあげよう。

ウサギより、もっと大きな犬だって絵本で見た象だって、何でも彫って贈ってあげよう。

その人はどんなふうに喜んでくれるだろうか。

ずっと、そんな風に夢見ていた・・・。

 

 

 

波の音、真っ黒に垂れ込める雲の下に、俺は横たわっている。

頭も体もひどく重くて、指の先が冷たく感覚がなくなっていた。

子供の泣きじゃくる声が響いている。

009も 目にいっぱい涙を浮かべて、覗き込んでいた。

いったい何が起きたんだろう。

泣かないで・・・俺は何でもするから・・・

 

「行ってあげて、009」

ああ、009は女の子とあのおじいさんを安全なところに連れて行きたいんだな。

だけど俺がいるから、置いていけなくて、困っているんだ。

 

―――そうか、009にはトモダチがたくさんいるんだね。僕だけじゃなく・・・

 

「行ってあげて。一人ぼっちはさびしいから」

君を困らせたくないから。

俺は大丈夫。慣れてるから・・・

 

009が背を向けて去っていく画像が最後に蘇った。

コズミ博士に肩を貸し、もう片方の腕に女の子を抱いて、何度も何度も振り返りながら去っていった。

 

すでに体は固く、冷たくなって動けなかったが、胸の奥に小さなぬくもりが残っていた。

 

よかった。

君の喜ぶことが 一つだけできた。

 

すうっと視界が暗くなり、胸のぬくもりは大きく膨れ、体中に広がって、限りない幸福感が僕をつつんだ。

 

―――009

―――009

0013のか細い声が僕を呼んだ。

 

―――行って。009

うん、009は行ってしまった。もう ここにはいない・・・

 

―――すぐに行って。戻って・・・

 

 

 

 

13

 

「戻ってこい!009!」

ケーブルが引き抜かれ、僕は乱暴に現実世界に引き戻された。

 

002怒った顔で覗き込んでいるが、彼だけでなく建物全体が怒り狂った咆哮をあげている。

「爆撃??!」

爆風になぶられた髪が顔にかかり、熱風が頬を焼く。

ベリンガー教授は?とみると、007が大きなシートに変身して、爆風から教授を守っていた。

「なんて馬鹿なことしやがる。危うく取り込まれるところだったぜ」

002!」

僕は記憶媒体に長くいすぎたみたいだ。

「こいつの・・ベリンガーの前の組織のヤツらが襲撃してきたんだよ。こいつは裏切り者だからな。」

007の覆いを跳ね飛ばして博士は怒鳴った。

「裏切り者だと?お前たちに言われたくないわ。」

ものすごい衝撃と爆風がコンピューターを吹き飛ばし、老朽化していた機械は床に砕けた。

 

「ああっ、わしの!!」

BGの最後の記憶媒体は 博士の最後に頼りにしていた僕の持ってきたデータカードもろともがれきの山と化した。

 

モルタルの天井が崩れ、ぽっかりと青空がのぞいている。

「逃げるぞ!!お前は何のつもりだったか知らねぇが、俺たちには関係ねぇ。こいつ自身にオトシマエつけさせるさ。」

ひぃっ小さな悲鳴を上げてベリンがーが硬直した。

置き去りにされたら、命がないのは明白だ。

「そういうわけにもいかないだろう。一応、正義の味方なんだから。」

007がいつもの軽口でとりなした。

 

002、前の組織って・・・あのマフィアの一団?」

「そうだ。」

002は憎々しく吐き捨てた。

ばけものと言われたのを根に持ってるらしい。

「わたしは止めたんだけどねぇ。犯罪組織と係わったら ろくなことはないって」

007がやれやれと溜息をついた。

 

「僕が彼らを足止めする。その間に博士を安全な場所に連れて行ってくれ。」

「そいつぁ上手くねぇよ。009」とセブン。

「ギルモア博士の調べによると、あいつらのバックにはロシアの衛星国家がいる。そいつらだけならまだしも、下手に刺激して大国に俺たちのかかわりが知れても面倒だ。」

「ならどうすれば?」

002は未だに連れて行きたくないらしく、

「放っておこうぜ。こいつの人生も清算期に入ってきたってことさ。」

やり取りを聞いていたベリンガーの表情が引きつっていた。

 

「まぁまぁ、わたしに考えがある。要するに、連中に殺されないようにするには、殺される前に死んでしまえばいいわけだ。」

ベリンガーは自分の運命のラストシーンが見えたに違いなかった。

 

 

「船で出てきたところを捕まえろ。」

マフィアの一番恰幅の良い男が命じた。

島の崩れかけた桟橋の陰から、一隻のボートがエンジン音を立てて現れた。

 

「いました。ヤツです。ベリンガーです。」

「一緒にいた男は?」

「見当たりません。」

 

白い小さなボートの上には、報告通り小柄な老人の姿しかなかった。

ベリンガーは必死で船を操作しようとしているが、慣れていないのか恐怖で手元が狂っているのか、進路は安定しない。

 

「近くを狙え。当てるなよ。」

リーダーの命令で、再びランチャーが火を噴いた。

ボートのすぐそばに落ち、盛大な水しぶきを噴き上げた。「ひいい。」ベリンガーの叫びが轟音にまぎれて小さく聞こえる。

 

衝撃で進路が狂ったか、エンジンがいかれてしまったか、ボートは逃げるどころか大きく弧を描いてクルーザーに接近し、まともにぶつかった。

クルーザーは悲鳴を上げて大きく傾き、甲板に乗っていた男たちはバランスを失って倒れこんだ。

舌打ちしてリーダーは起き上がり、再び傍らのボートを見たが、小さなボートは舳先に大きなひびが入り、ゆっくりと波に沈んでいくところだった。

 

「潜水具を出せ。ヤツを殺すな。金のありかを聞き出すんだ。」

ベリンガーの死の報告と 持ち逃げした金を本部に持ち帰るのが今回の任務だ。

 

金を隠しているのなら白状させ、取り戻した後、ベリンガーを始末する。

もし失っているのなら、その場で命で払わせる。

それが彼らの仕事だ。

 

「同志、船が!!」

部下の声に気付くと、クルーザー周囲に穏やかに揺れていた海面がせり上がってくる。

ちがう!!

黒服の男たちのクルーザーも 博士の船に倣って、ゆっくりと海に沈んでいた

 

「船底に穴が開いてます。さっきの衝突でこちらも損傷を受けたのだと。」

「塞げ!」

怒鳴り声を合図にしたかのように、クルーザーは沈むスピードを急にあげた。

 

甲板に立っている男たちの足は、すでに温かい海水にぬれ始めている。

島まで100mくらいか・・・

彼らは着衣のままメキシコに近い海を抜き手を切って泳ぎ始めた。

 

 

マフィアの男たちが島に上陸するころ、基地の島がかろうじて確認できる沖合で白いボールがぽかりと浮き上がった。

 

と、見る間につぼみが水面で開花するように開いて、そのままボートの形となり、中に親指姫然として額の突き出した老人が座っていた。

 

ロケットランチャーでの狙い撃ち、敵の目前で大破するボートと、生きた心地がしなかったらしい。顔色は蒼白で、脚は小刻みに震えている。

 

島の方角から、すさまじい水しぶきが上がりそれはたちまちボートに近づき、次の瞬間には

The Big Dipperの上に009が立っていた。

 

足元にはBGの基地で使った発電機とガソリンのタンクが置いてある。

風を切る音が近づいて、海面すれすれを飛行する人型が、やはりボートの上に降り立った。

 

「連中、諦めたかな?」The Big Dipperが楽しそうに言った。

「多分な。沿岸警備隊には連絡しておいた。すぐに逮捕されるさ。」

「ありがとうジェット。」

002はふんとそっぽを向いた。

「ベリンガーのためじゃねぇ。アメリカで他国人に勝手させたくねぇだけだ。」

 

「じゃあ、そろそろエンジンかけるぞ。」The Big Dipperが陽気に告げる。

海上にけたたましいエンジン音が響き、BGの最後の砦がたちまち水平線に遠ざかった。

 

「すごいな、007。船にも化けられるんだね。」

「まあな。エンジンみたいに複雑なのは無理だが、単純な船型ならな。」

借りた船が船外機でラッキーだった。これなら007が簡単にエンジンを装着できる。

 

「本物のThe Big Dipper本体はどうしたの?砲撃にやられたのかな?」

僕は気になって尋ねた。貸船屋のおばさんだって、大事な商売道具が返ってこなかったら困るだろう。

 

それに対して007の船は軽快に笑った。

「あはは、初めからThe Big Dipperはわたしだったよ。Qを逃げ場のない海の上で捕まえてやろうと思ってね。」

 

目を丸くする僕にしてやったりと大満足の様子で、イギリスの大俳優は続けた。

「おまえさんの車のフロアシートもわたしだったんだよ」

―――なんてことだろう。あんなに苦労したのに、初めから007の手の平の上だったんだ。

 

がっくりと肩を落とす僕に白い船は大人の余裕たっぷりで

「いやいや、海の上でお前さんの声を聞くまでは正体がわからなかったから、なかなかのもんさ。もう一息ってところさね。」

船の一部が、ぐにゃりと曲がって貸船屋のおばさんの顔が現れ、ウィンクした。

 

ベリンガー博士がひいと息をのみ、僕は007との年季の差を思い知らされた。

変装でも、人生経験でも、100年たっても、僕は007の足元にも及ばないだろう。

 

 

「さて、こいつをどうする?」

黙ってやり取りを聞いていた002が、鋭い視線を博士に向けた。このまま海に放り込んでしまいかねない様子だ。

やっぱり002は・・・(たぶん他の仲間も)BGには容赦がない。

 

博士の処分が決定してしまう前に、僕はどうしても聞いておきたかった。

「教えてほしいんです。あそこの・・・あの島のコンピュータに残されていた0013の記憶はどういうものなのですか?」

「0013? そういえば、お前はあのサイボーグを気にしてたな。」

 

「0013?あの、ロボットの?」

「なぜ今頃?」

002と、007もそろって怪訝そうにした。

 

「残されてたって?ふん、記憶媒体の中から見つけたのか?さぞや読みにくかっただろう?必要データを抜いた後の、ちぎれたゴミだからな。」

 

「必要なデータ?」

「お前たちとの戦闘が記録されてる部分さ。他にもロボットの操作データや…そんなBGに必要な部分だけ人工脳から取り去るんだ。あの島のコンピュータは脳の記録を一度取り込んで、最終チェックするためだけのものだ。」

 

データに残された0013の記憶は、確かにロボットの操縦や、戦闘に関するものは残っておらず、個人的なものがほとんどだった。それもひどく断片化されている部分が多かった。

 

「・・・からだは? 0013のからだと、データを取った後の、残された体はどうしたんですか?」

 

「からだ? 廃棄すると言っただろう?

あの島は兵器の残骸をシュレッダーにかけて、海洋投棄するだけのところだ。

その0013というやつは、機械部分はスクラップで埋められて、生身の部分は今頃サメの腹に収まっとるよ。」

 

今度は002007に向き直って

「お前たちをあそこに送り込んでやればよかった。実験場で性能だけでなくメンタルチェックも行っておれば、お前たちなんて、不適格の烙印を押して早々に処分されたのに。この出来そこないの機械人形めが!!」

 

002ばかりでなく、足元の007からも ものすごい殺気があふれた。

サイボーグ訓練施設の記憶は彼らにとって、逆鱗だ。

 

圧倒的に不利な立場で、挑発の言葉を吐く博士は、死ぬ気でいたのかもしれない。

二人に殺人を犯させることで、一矢報いたかったのかも。

 

腰の銃に伸びた002の手を僕は必死で止めた。

彼は 僕と博士の顔を 交互に睨みつけて、

 

それでも感情を抑え込んでくれ、

先に戻ると言い捨てて、空のかなたに消えていった。

 

激情がしぼんでいったのは、博士も同様だったらしい。

しばらく僕を見つめた後、ぼそぼそと低い声で告げた。

 

「もっとも・・・0013があそこで処分された証拠はない。BG内でデータはあちこちの基地で共有されていたし、あの記憶媒体に記録されてたからと言って、あそこで処分されたとは限らない。

0013の体がまだ、どこかに保管されているのかそうでないのか、今となってはわからない。」

 

僕はどんな顔をしていたんだろう?

ベリンガーの誠意に、微笑んで返したつもりだけど。

 

 

 

15

 

ベリンガー博士は002007が本部に連れて帰った。

 

001とギルモア博士が決めるだろうけど、

たぶんヨーロッパ連合の諜報機関に引き渡されるだろうと007が言っていた。

 

ベリンガーはロシアからカスピ海沿岸諸国を通過地点として 中東やマフィアに流される兵器ルートを知っているかもしれないからだ。

「捜査に協力的なら、見合った処分になるさ」

007が肩をたたいて言った。

 

仕方ない。

 

彼のせいで 命を落としたり、不幸になった人は数知れないんだし、

002の言うとおり、人には人生の清算期があるんだろう。

 

 

彼らと別れた後、

僕は日本の、0013の最後を見届けた海辺の町にいた。

 

観光地とは縁遠い、人気のない海辺に座って、煌めく水平線をぼんやりとながめた。

 

あのとき荒れ狂っていた海は、今日は全く違う表情を見せている。

爽やかな風が青い海と空を駆け抜けて、遠く海鳥の声を運んでいた。

 

 

ここへ来る間、何度も自分に問い直した。

 

どうして僕はあのとき0013を置き去りにしたんだろう。

―――コズミ博士と少女を一刻も早く安全な場所に移動させなくちゃならなかった。

―――二人を連れて、0013の体も抱えて逃げるなんて無理だった。

 

BGが0013の体をどう扱うか、本当は予想してたんだろう?

―――・・・・・わかっていた。わかってて、置き去りにしたんだ。

 

僕は0013の遺体と 生きている二人とどちらが大事だった?

―――生きている二人のほうが大事だった。0013がどんないい人でも、彼は敵だった。

―――生きている恩人と、死にゆく敵を天秤にかけて、当然 生きている人を選んだ。

 

そして僕は0013の最後の記憶に残したんだ。僕が背をむけた画像を。

 

何度 自問自答しても、あの時自分のとった行動は間違っていなくて、

いちばん正しくて・・・・、

 

それが いっそう僕を苦しめた。

 

どれもこれも、今となっては動かしようのないことばかりだ。

 

遠い水平線が、熱くこみ上げるものでぼやけた。

必死でこらえたつもりなのに、あふれるしずくは頬を伝い、乾いた岩を何度も黒く濡らした。

 

 

こうして、0013はいなくなった。

 

あの海辺の町で、死んでしまった時、彼のいのちは消え、

彼の抱いてた優しさも悲しみも喜びも、すべてが消え去った。

 

データとして残された記憶の幻影も、破壊されて消えた。

 

 

0013という心優しきサイボーグがいたことを 僕以外 誰も知らない。

 

僕がこの世から消える時、彼も完全に消えるんだろう。

初めから存在していなかったように…

 

大きな波が岩にあたって砕け、飛沫が風に乗って頬にあたった。

夏の名残の熱気に 潮の香りがむっと吹き寄せてきた。

 

せめて、白く輝く太陽が 夕日に変わるまで、ここに座っていようと思った。

―――0013と一緒に見るはずだった夕日。