ポレポレカフェ

 

 

ピュンマさんが昔を思い出しながら

コーヒーを淹れる話

 

8/20/2017


 

 

丸底のザルの中でパチパチと爆ぜる音が響きはじめた

 

そろそろかな。

 

僕が色と香りを確かめようとした時 玄関で人の気配。

誰かが帰ってきたみたいだ。

 

廊下を歩く足音がして、やがて厨房のドアが開いた。

 

「いい香り?コーヒー淹れてる?」

「あれ?」

「ピュンマ、これなに?」

 

テレビや喫茶店なんかで 粉のコーヒーから抽出してるのは見たことあるけど

焙煎を見るのは初めてらしい。

 

大きな買い物袋を抱えた二人の仲良しティーンエイジャーは めずらしそうに僕の手元を覗き込んだ

 

「コーヒー?」

 

「そう、いま豆を焙煎してるんだ。」

 

 

「家のコンロでできるのか」

「すごくいい香り。。。」

 

ジョーは持っていた紙袋を椅子の上に置いて見入り

普段なら僕に挑戦的な物言いのジェットも 長い鼻を天井に向けてうっとりと芳醇な香りを吸い込んでいる。

 

 

「この豆を粉にして湯で漉すんだろ?」

 

もしかして 豆のコーヒーは初めて見るのかな?

カップの上に乗せるやつとか お湯に溶かすだけのはよく飲んでるみたいだけど。

 

「そうだよ。ただ煎りたては美味しくないから この豆は冷まして二日ほど寝かせとくけどね。」

ぼくは程よく色づいた豆を火から降ろし、風通しの良い小窓の前に置いた。

 

 

「ふうん。」

「すぐ飲めないのか。」

 

二人はあからさまにがっかりした表情をした。

 

何を考えて期待してたか丸わかりだよ。

コーヒーの香りは 人をリラックスさせ、警戒心を解くと言うけど本当だな。

 

それは僕にも当てはまるようで、

ガラにもなくサービス精神を起こしてしまった。

 

 

「前に煎ったのがある。 今から淹れるけど。。。君達も飲む?」

 

二人の顔が パッと輝いて大きく頷いた。

 

 

 

僕は戸棚から道具とコーヒーの入った缶を取り出した。

 

豆は確かキリマンジャロだったっけ。

30gを少しだけうわまる豆を計ってミルに移す。

 

「正確に計るんだね。」

「うん、まぁ好みだけどね。」

 

ハンドルを回してカリカリと小気味良い音をたてて豆が轢かれていくのを二人は珍しそうにテーブルの向こうから凝視している。

 

「挽いてみる?」

 

大喜びで受け取って 勢いよくハンドルを回すと、勢い余って豆がミルから飛び出し、テーブルの上にばらばらと散った。

 

「わ、ばか。下手くそ。」

「ごめん~。拾って。3秒以内なら大丈夫だから」

「たく、加速装置使ってんじゃねーの? 俺がやる。」

 

 

 

なんつーか、まぁ、キミたち・・・

かわいいねぇ。。。

 

 

ぼくは代わる代わるハンドルを回す二人にミルを任せ、今まで豆を煎っていたコンロに、こんどは細口のケトルをかけて火をつけた。

 

 

湯を沸かしている間に ペーパーフィルターの端を丁寧に折ってドリッパーにきっちりとセットする。食器棚からマグカップを取り出し机の上に並べた

 

ほどなく 細いケトルのそそぎ口から筋を引いて湯気が立つ。

僕は熱いお湯をマグカップに注いで温めた。

 

挽いた豆の粉をミルから取り出し、ペーパーフィルターに入れると ケトルから静かにお湯を落とした。 

まずは一たらし。

 

それからペーパーを少しずつ湿らせ、一旦手を止める。

 

このあと、約15秒くらい待つ。

粉がお湯を吸って膨らむ時間。同時に紙の匂いを飛ばす時間。

 

やがて十分膨らんだ粉から ガラス製のサーバーにポトポトと最初のコーヒーのしずくが落ち、ドリッパーから湿った温かい芳香が立ち上った。。

 

それを確認してから、フィルターの中心に小さな円を描いてお湯を注ぐ

 

静かに、ペーパーにできたコーヒー粉の壁を崩さないように・・・

サーバーに落ちる濃い琥珀色の液体と 上から注ぐお湯の量が常に同じ量で・・・

 

やがてサーバーの中は光に透けると赤く色づいた液体に満たされた。

 

マグカップを温めていたお湯を捨てて、

 

ドリッパーの中に細かい泡が浮く最後のひとすくいが落ちないうちにサーバーから取り外す。

 

「あれ?とっちゃうの?」

「そこが一番美味しいんじゃ・・・」

 

興味津々で見入っていた二人が口を挟んだ。

 

 

ああ、彼ら グレートに紅茶の淹れ方をレクチャーされたんだな。

 

 

「紅茶は最後の一滴をゴールデンドロップって 一番美味しいっていうんだろ。

でもコーヒーは違う。

この部分はアクを含んでるからね。捨ててしまうのさ。」

 

 

ふうんと納得する二人の前で 僕は出来上がったコーヒーを静かにマグカップに注いだ。

 

しばらく立ち上る湯気を楽しんで、二人はひとくち口に含んだ。

 

「おいしい!」

「すげ。苦くない。」

 

 

苦くないってことはないだろう? たぶん 変なエグミや癖がないってことかな?

期待通りの反応に満足して、自分もひとくち含む。

 

さすが僕。合格点の出来だ。でも自画自賛を表情に出す隙は見せないよ。

 

 

「豆をちょっと奮発したから。それに日本の水がいいよね。水道水でも美味しいコーヒーが淹れられる」

このコーヒーが美味しいのは いい水と良い豆のおかげだということにする。

 

 

ふうん、謙虚だなと赤毛の青年が言った。

「アフリカのは まずかったのか?」

 

「ジェット、 アフリカはコーヒー生産の本場だよ。まずいわけないじゃないか。」

 

 

「そうだね。だけど水が良くないかな。。。飲用水を買ってこなくちゃ」

 

 

 

ーーーそれに淹れ方も

 

 

こうして期待通りの美味しいコーヒーを抽出できた時、僕はいつも思いをはせる。

 

整った器具で豆の最高の味を引き出せるのは豊かさの証拠だ。

最高の豆を収穫していても 僕の国は美味しいコーヒーを飲むことはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

僕の友達はとなり村に住んでいて、家はコーヒー園を営んでいた。

 

 

収穫が忙しくなると彼はよく学校を休んで農作業を手伝っていた。 炎天下、赤く実ったコーヒーの実を麻袋いっぱいに詰め込む作業を 朝から晩までヘトヘトになるまで続けて、たまに遊びに行くと麻袋の山は僕の背丈より高くそびえていた。

 

 

そうして積み上げた袋を 街の仲買人が買い取っていく。

近隣の農村から集められたコーヒーは 果肉を除かれ、豆の状態にして 最終的にヨーロッパに輸出されていた。

 

 

幼い頃の僕は その赤い実がなんなのか、どんな商品として取引されて、いくらくらいで売買されるのか、考えたことさえなかった。

 

 

 

トラックいっぱいの赤い実を 何度出荷しても、彼の家は貧しいままだった。

 

彼のまだ12歳になったばかりの姉は 半分身売りのような形で遠くの街に働きに行ったまま一度も帰ってきていない。

 

 

 

彼の家に遊びに行くと、彼の母親が家でとれたコーヒーを飲ませてくれた。

 

多分出荷できない痛んだ豆を家族で消費してたんだろう。 豆の質も良くなかったが、淹れ方もめちゃくちゃだった。

 

フライパンを焚き火にかけてかけて煎った豆を 石で叩き潰してグラグラ煮立ったお湯に放り込むのだ。

色が出たら布でこしてボウルに注ぎ分けてくれた。

 

そうして淹れてくれたコーヒーは 焦げ臭くて苦くてエグい泥水のような汁で とても美味しいとは思えなかった。

ヨーロッパの白人たちは これのどこが美味しいのか、友達と二人で不思議がった。

 

 

今思うと、彼の母親は仲買人か誰かから聞いた淹れ方を自分たちの出来る範囲で真似てたんだろうな。

 

 

文明の進んだ連中がおいしがるんだから、自分たちはまずく感じても、本当はこれが美味と言われるものなんじゃないか?

僕らはそんな風に考えたりもした。

 

 

 

 

 

 

 

ある日、丘の向こうに見慣れない一団がキャンプを張った。

 

白人でもない、街の仲買人でもない、見たことない肌の色の連中だった。

彼らはインド洋のむこう、はるか東に住む人たちで 地質調査だかなんだかでひと月ほど滞在し、藪をはがしてその下の土のサンプルを集めたりしていた。

 

ちょうど農作業もひと段落ついた時期で 僕と友達は遠くから彼らの作業や生活ぶりを眺めていた。

 

ある日、その中のひとり 白髪交じりの男が手招きをして僕らを呼んだ。

子供好きらしい彼は 自分の持ってきたお菓子をくれた。

 

お菓子も生まれて初めての美味しさだったが、一緒に供してくれたコーヒーに僕らは愕然とした。

 

僕らの眼の前で 彼は鈍く輝くミルで豆を挽き、専用の器具で淹れたそれは 初めて感じる香りの高さだった。

 

僕らは彼の持つコーヒー器具が 魔法の道具のように思えた。

 

「魔法でもなんでもない」

彼は流暢なフランス語でそういった。

「これはコーヒーを淹れる専用の機械だよ。そしてこの豆は君たちの家で採れたものかもしれない。」

 

彼はヨーロッパで 僕らの国で採れたコーヒー豆を購入し、持ってきたと言った。

ならば本当に 友達の家で採れた豆かもしれない。

 

 

 

それはいくらくらいで買ったのか?

僕は尋ねた。

 

 

彼はちょっと考えて レートが違うから聞いた通りの額じゃないよと よくわからない前置きをし 当時の僕らにとっては途方もない金額を口にした。

 

 

友人と僕は驚きのあまり 言葉が出ず、ただ 今自分が持っているカップの中の琥珀色の液体と お互いの顔を代わるがわる見比べた。

 

そんな高価なもの、自分たちの体内に入れてしまった。

自分たちがとんでもなく身の程知らずな贅沢をしたような気がして、罪の意識さえ感じたものだった。

 

帰途、紅紫に染まる空の下を 僕らは夕日を片方の頬に受けながら だまって歩いた。

帰途の分かれ道にきても じゃ と片手を上げて お互いの背を向けた。

 

 

 

家に帰ってから 僕は生まれて初めて抱いた疑問が 頭に絡みついて消えなかった。

 

 

どうして僕らは貧しいんだろう?

 

 

暗いうちから日が沈むまで ずっと赤い実を積んで袋に詰めて

学校に行けないほど働いても。

 

先進国にあんな素晴らしい飲み物を供し びっくりするような金額で取引されているのに、

なぜ友達の家は 姉さんを売らなくてはならないほど貧しいんだろう?

 

 

 

 

絡みついた疑問を 僕は自分の母親に 尋ねてみた。

ーーー考えたって仕方ないさね。

 

彼女は料理の手を止めずに言った。

アルミの深いなべの中では わずかな肉片と 繊維だらけの葉っぱが炒められていた。

 

ーーー白いやつらはそういうことが出来るやつらで わたしらは違う。

   昔からそう決まってる。それだけのことさ。

 

 

「たったこれっぽっちの袋が20ドルで売られてたんだ。どうしてそんなすごい金額になるの?」

僕の質問は母親の一言で一蹴された。

 

「20って・・・数? ドルって? お金のことかい?

それより水汲みは終わったの? 日が暮れる前に水がめをいっぱいにしといておくれ。」

 

 

 

 

 

あれから僕はいろいろあった。

頑張って勉強して、幸運にも大学に進学できた。

 

そこで勉強して 僕たちの国を豊かにしたかった。世の中の矛盾を正したかった。

でも 僕が大学に入ってほどなく 独立運動が始まった。

 

僕も銃を取り、戦闘に加わって大怪我をし、目覚めると妙な具合になっていた。

 

それから・・・・ それからの日々は   本当に、いろいろ・・・ イロイロあった。

 

 

 

 

僕が大学に進学するまでの間、

隣村の友達は もくもくと家の仕事を手伝っていた。

 

学校も休みがちだったが、暇を見つけては懸命に勉強してたと思う。

授業に出てきても 一通りの授業にはついてこられていた。

 

そうしながら 彼は働き続けていた。

日が昇る前に畑に出て 暗くなるまで赤い身を摘んで わずかな収入を得ていた。

 

 

僕が大学に行っても 独立運動に加わったころも そのあとも。

たぶんあの炎天下で もくもくと働いてたんだろうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、そういえばグレートに頼まれてパウンドケーキを買って来てたんだった。

コーヒーには甘いものが必要だって言ってたよね。進呈するよ。」

 

苦くないとは言いつつ、いつもの習慣で砂糖を山盛り入れて飲むジェットを 呆れて見ていたジョーが言った。

 

「いいの?頼まれてたんだろ?」

「うん、余分に買ってるから。ナッツのとプレーンとどっちにする?」

 

ごそごそと茶色の紙袋から500cc牛乳パックほどのパウンドケーキをいくつか取り出した。

ナッツのを選ぶと ジョーはいそいそとシンクの横でナイフを取り出して切り分ける。

 

 

そうこうするうちに 他のメンバーも帰宅してきた。

 

 

イワンを抱いたフランソワーズとジェロニモが 食堂に顔を出した。

いい香りと楽しそうな声に 人は誰しも惹かれるものだ。

 

僕はしまいかけていたコーヒー豆と器具を取り出し、さっきより少し多くミルに移した。

 

 

 

「いい香り・・・」

高貴な香りを充分に堪能しながら彼女は言った。

 

「よく兄さんとコーヒーを飲んだわ。 わたしが疲れたら、ミル挽きを代わってくれてね」

 

 

本当に

コーヒーの芳香は人を幸せな記憶に導いてくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数年前、僕は久しぶりに故郷の村を通過した。

 

もう僕の家族はなく、僕を知る人もいないだろうと思われたので 飲料水を得るついでに 少しだけ車を降りて散策しようとしたのだ。

 

車を止めたのは あるコーヒー農園の横の大きな雑貨屋で 店の片隅にカウンターがあり、そこから良い香りが漂っていた。

 

生活用品と一緒にお茶葉やコーヒーも売り、希望があればその場で飲ませてくれる

雑貨屋と喫茶店を一緒にしたような造りの店だった。

 

 

僕はカウンターにいる男にコーヒーを注文しようとして 目を疑った。

 

彼がそこにいた。

僕の記憶の、若いままの友人が コーヒーの分量を計りながらニコニコ笑って いらっしゃいと声をかけてくれた。

 

 

「うちの農園のコーヒーだよ。」

 

彼は言った。

 

「じいさんが 自分で作ったコーヒーを ぜひ自分の手で淹れて 飲ませたいってこの店を始めたんでさぁ。」

彼は的確に作業をこなしながら 自分の祖父の立身出世話を自慢し始めた。

 

 

周囲の馴染みの客がやれやれといった表情で顔をすくめる。

 

カウンターの男は 手馴れた様子で、だが決して急ぎはせず、専用の器具を操作し琥珀色の液体を抽出した。

そのあいだも、口も止まることなく 彼の祖父がどのように独立の混乱を乗り切り、コーヒーの木一本一本を育てていったか語り続ける。

 

身内の自慢話ではあるけれど、

心から自分の祖父を尊敬している様子が伺えて、嫌な気持ちにはならなかった。

 

 

だいぶ機械化が進んで 昔のような酷い労働じゃなくなった。これも祖父が頑張って中古の機械を購入し、家族の負担を減らすことから始めてくれたおかげだ。

そんな風に言って、彼は話を締めくくった。

 

 

 

外は強い日差しがコーヒーの木を照らし、その下に黒い影を作っていた。

こんな暑い午後は人も動物も 涼しい影に寝そべって のんびり昼寝をしている。

 

 

ポレポレ・・・ 

日本語では「ゆっくりゆっくり」という意味になるのかな。

 

ちょうど今のような午後は ポレポレという言葉がふさわしい。

 

 

 

コーヒーを入れる動作もポレポレ

それを味わう側も ポレポレ 。。。。

 

 

数十年も前に コーヒーに感銘を受けた二人の顔が いま、変わらぬままカウンターを挟んでいるのだと思うと 不思議でもあり ひとときの夢のような感じもした。

 

 

 

あの日、紅むらさきに染まる空の下で、キャンプからの帰り道、じゃあと手を挙げて別れたふたり。

二人の道も 左右に分かれてたのだ。

 

でもたぶん、 目的は一緒だったんだな。

 

 

 

 

 

僕は 琥珀色の熱い液体を一口含んだ。

 

あの時と同じ、高貴な香りが僕の体と記憶を包んだ。

 

 

 

 

 

 

fin