ボスフォラスの風 2
003は地下室を外から透視しようとしますが、うまくいきません。
どうも彼女の視力をそぐ、ある種の物質の入った幕か、電磁シールドが張られているようです。
透視能力を持つ人がそうたくさんいるとも思えず、
003が009を監視していることを、009はとうに気付いていたということになります。
恥ずかしさと罪悪感と、少しだけ009に対して腹立たしい気持ちを抱きつつ、結局003は鍵を解除し、ドアのノブを回します。
そっと覗いてみると、内部は真っ暗。
外からの細い光が差し込み、内部を照らします。
暗闇で見えませんが、009はすぐに気付いたようです。
「003?」
ジョーの声です。
通常の視力のままでは暗い室内は見えませんが、003が聞き間違えるわけがありません。
突然の来訪に驚いたものの、予期はしていた。そんな感じです。
暗視に切り替えなくても、地下室は機械でいっぱいなのはわかりました。
計器の調子を示す小さなLEDの点滅、わずかですが継続する機器のうなり。。
その奥で、気配がします。
003は視力を暗視に切り替えました。
やはり、地下室の内部は積み上がった機械、壁には薬品と書物がずらりとならび、ボードには幾何学的な設計図と走り書きのメモがびっしりと張られています。
ギルモア博士やコズミ博士の研究室を、003が掃除せずに半月放っておいたような状態。決して散らかっているのではなく、実験と開発を積み上げてきたような。
それらが狭くない地下室にぎっしりと収まっていました。
「悪いけど、ドアを閉めてくれる?」
そんな機器の山の奥から009の声がします。
003は黙って後ろ手にドアを閉じ、再び地下室に闇が満ちました。
「ありがとう。この部屋、電燈をつけてないんだ。紫外線に弱い物質もあるし。でも、僕らなら平気だろ。」
少し低いものの、009の声はいつものように優しいトーンです。
「なにを・・してるの?ここは・・・なに?」
逆に003は自分の声が、緊張してるのを感じました。
暗闇の向こうの、大きく張り出した機械の向こうに009はいます。
背もたれをこちら側に向け、リクライニングさせた椅子に深く腰掛けています。
彼の前方には、腕・足・頭…人の各パーツをかたどった機械がいくつも、大きな実験机に並べられていて、その向こうには何かの液体で満たされた大きなガラス容器が下からの化学的な光に照らされて浮かび上がっていました。
その中には、機械の腕がいくつものコードを引きずって収められています。
「サイボーグ研究所!!」
思い出したくもない過去。
これはブラックゴーストの基地で、何度も見た、何度も連れて行かれて、おぞましい実験が繰り返された、研究施設だ。
003は息をのみます。
やっぱり彼はサイボーグの研究を自ら行っていた?悪魔の研究を引き継いでいたというの?
あんなにも、サイボーグであることを悲しんでいた彼が!
思わずよろめいて、傍らの大きな機械に手をついた時、ひじが何かを倒しました。
ガラス製の何かの容器が並んでおかれていたらしく、砕けたガラスが床を散らばる音が、暗黒の実験室にヒステリックに響きます。
すると奥からも同じようにガラスが割れる音が響きました。
暗視すると、009の前に置かれた大きなガラス容器が内部から割られて、内部の液体がひび割れから光を反射しながら漏れ出し、周囲の機器にしみています。
ガラス容器の中におさめられた機械の腕が、大きく動いてとがった破片をまき散らしています。
003は両手で口を覆い、立ちつくしました。
「あ、やってしまった・・・。」
いつもの調子を失わない009の声です。003は意を決して、機械の山を回り込み、009のそばに立ちました。
「少しの刺激で過剰反応してしまうんだ。精度を落とすわけにもいかないし・・・。」
彼は椅子に腰かけたまま、微笑んで003を見上げました。
「009なにをしているの?ここは?」
「・・・見たとおりだよ。」
「私には・・サイボーグの開発をしているように見えるわ」
「まあ・・・そうだよ。」
「やっぱり、博士たちの心配した通りだったの?あなた、自分の設計データを見たのね?」
「設計?」
「あなたの頭脳に入ってる、サイボーグ009の設計図とすべての実験データよ。」
「自分の頭に入ってるから、見たとは言えないけど。。。参考にはしたよ。」
「参考に…。やっぱりあなた・・・・」
ふと、003は気付きました。
背もたれを透視して、彼の首筋から、腕の付け根に何本かケーブルがつながれ、その先は機械の腕まで繋がっています。
まるで、自ら機械になろうとしているみたい。
思い出して、戦慄しました。
003の視線に気づいてか、
「繋いで動作確認してるんだけど、まだ博士みたいにうまくは出来ないね。」
割れたガラス容器の中の腕が、小さな音を立てて、指を開閉しました。どうやら009が動かしているようです。
機械と自分を繋いでいる?
「あなたは…何?」
「フランソワーズ。。。」
「あなたが・・・私たちをこんなかたちで裏切るなんて。」声が震えました。
わずかの間考えて009は
「・・・ここを出て、次の角を右に曲がったらボスフォラス海峡に面した公園に着く。そこで待っててくれる?」
地下から出ると、外はもう夕方の風が吹いていました。
海に面したベンチに座って、海風に吹かれていると、今まで、暗闇の中で混乱していた自分が夢のなかのようです。
いくらも待たず、009がやってきました。
「いい風だね。」
「ええ。」
いつもの彼で、自分の返答もいつもの通りです。
これもまた、悪い夢を見ていたようで、どちらが現実なのか混乱します。
009はベンチに座らずに、岸壁の柵にひじを置いて海の向こうに横たわる丘を眺めました。
「あの山から、船が降りてきたんだ。」
009が正面に見える小高い丘を指しました。
? 003は首をかしげました。
「ここがビザンツ帝国コンスタンチノープルだったとき。オスマン帝国のメフメト二世がこの地を攻めたんだ。」
遠い昔の戦の話でした。
「メフメト二世は金角湾に入って、海から攻撃したかったんだけど、湾の入り口には太い鎖が張られてて、軍船が入れなかった。
アフメット二世は血の気の多い人だったんだろう。70隻の軍船をあの半島の山に引っ張り上げて、湾の内側に下ろしたんだ。」
「70隻も!?」
前方の山から巨大な軍船が次々と降りてくるさまに思いをはせました。
歴史として聞くと面白い話ですが、コンスタンティノープルの人にとっては目を疑う、絶望的な光景だったことでしょう。
「詳しいのね。」
「何回も高校生をやったからね。」
009は海を背にして微笑みました。
「記憶が…」
彼はリセットしたはずの記憶を取り戻していました。
「フランソワーズ、僕はもう日本で高校生を繰り返すつもりはないよ。」
「それは・・・。」
博士の思惑にも気付いているのね。
003の疑念が再び頭をもたげます。
「だったらなぜ、あんなものを作っているの?あれは悪魔の技術よ。どれだけの人が犠牲になったか、私たちがどんな辛酸を舐めたか、その記憶も残ってるでしょう?」
009の瞳が少し陰りました。
「機械の体の開発をすぐにやめて頂戴。私たちはこの身体の秘密を葬るべきなのよ。悪魔を復活させようなんて!! 」
「必死になって葬ろうとしなくても、近いうちに、僕らに使われているサイボーグ技術は何の価値もなくなるよ。」
何を言ってるのかしら?
003は混乱しました。
「今まで僕らはこの身体の秘密を守るのに苦労してきた。急にその必要がないって言われても、理解できないかもしれない。」
「どういうこと?」
「今の時代、僕らのような金属部分の多いサイボーグは安全性を大きく欠くし、メンテナンスの難しさも、経済的にも技術的にも、現実的じゃないんだ。」
口調は他人事のようです。
「たぶん、学術書の片隅に、行き詰った亜流の技術として、記載されるだけのものになるだろう。」
行き詰った技術?私たちが?
「それなら何故、あんな研究を続けているの?」
「僕が機械の体を研究しているのは僕のためだ。
博士たちがいなくなったら、僕らは誰にメンテナンスしてもらうんだい?」
「それは・・・」
彼らはここ数年、博士たちに大きな修理を頼んだことはありませんでした。昔のような戦闘はないし、大体の事は自分たちと、今所属している組織のスタッフでまかなえる、そのくらいの自由は手に入れてました。
でも、本当に重大な故障や破損が体に生じたら・・・
そして博士たちがかなりの高齢であることは、考えたくなかったのです。
「博士だったら治せる故障で、仲間の誰かが苦しむのを僕は見たくない。ただ、それだけのことだよ。」
009は微笑みました。
「でも・・・もし。」 誰かに悪用されたら?
「確かに今すぐは無理だよ。だけど、何の目処もないまま、必死で戦ってた昔よりはずっとましだと思う。」
「それはそうだけど・・・。」
生身の体を奪われ、否応なしに与えられた機械の体も能力も、もう世界に不要なものとして捨てられる運命・・・
機械の体を嫌いながら、それが不要だと世の中から判断されるのは、やりきれない。
矛盾は分かっている。でも…
009の瞳に、かすかに憐憫の陰が掠めました。が、
「ここから先はほかの人は関係ないんだよ。
フランソワーズ、ようやく、僕らは僕らだけのものになれるんだ。」
この町名物の渋滞と家路を急ぐ人々の群れの流れに乗って、二人は歩いていました。
009の考えを、しっかり理解できるのは少し時間がかかりそうでした。
これまでの経験は深く心の傷になっていますし、考え方はそう簡単に、スイッチのように切り替えられるものではありません。
でも、009が博士や自分を裏切っているわけではなく、未来を信じて歩き出そうとしていることは確信できました。
今わかることはそれだけ。
それだけでいい、それだけで、003の心は軽くなったのでした。
二人で夕食の材料を買ったり、しばらく足を止めて店先の楽しげなポスターを眺めたりしながら、003の今のアパートに向かっていました。
ふと、009が付け加えました。
「さっきの話、博士たちには内緒だよ。特にギルモア博士にとって、真実はつらいだろうから。」
人生をかけて、良心さえ一時期捨てて追及してきたサイボーグ技術が、すでに世界に必要とされなくなっている。その現実を受け入れるにはギルモア博士は、老いすぎています。
そして少しためらった後、ぼそりとつぶやくように言いました。
「本当はね、一番の理由は、イワンに幸せになってほしいんだ。」
「001?」
「うん、再会した時、びっくりした。イワンは30年近くも経つのに、赤ちゃんのままだった。このままだと、彼が最後に残されるかもしれない。」
サイボーグを見かけの姿で判断してはならない。
でも、順序からいうと、メンバーがこの世を去った後、001が一人取り残されることは十分あり得ることだった。
たった一人残された永遠の赤ん坊。
「そして脳は体より長生きなんだよ。このままだと、体は成長しないまま使えなくなっていくかも…」
長く一緒にいすぎて、慣れすぎて、001の背負う悲劇を失念していた自分を003は恥じました。
「余計なお世話かもしれないけど、僕はイワンに普通に幸せになってほしいんだ。せめて、選ぶ自由くらいは残しておいてあげたい。」
009は、まだまだ力不足だけど…とかなんとか、呟いて、おずおずと肘を差し出しました。
彼の表情と差し出された腕を何度か見比べて、003は微笑んで自分の腕をからめました。
外国暮らしも長いはずなのに、こんなところは照れ屋の日本人男性らしいなと、おかしくなるのでした。
ボスフォラス海峡を渡って、涼やかな風が雑踏の街を優しくなでていました。
たくさんの人種、たくさんの人生が行きかっていますが、何となく、みんな幸せそうに見えます。
世の中には辛いことも多いけど、わくわくしたり、じんわり嬉しかったり、誰かに感謝したくなったり、そんな楽しいこもたくさんある。
例えば、遠い過去に思いをはせ、これから来る未来を夢見るとか。
好きな人と腕を組んで家に向かうとか…
窓から漏れてくる光が、古い石畳の道を温かく濡らしてきました。
しろくま
2013.4.1
期せずして、エイプリルフールですね~
サイボーグがメンテナンスをしていれば、ずっと生きられると言っても、二千年生きられるわけじゃないでしょう?
あれこれ難しいこと考えるのもほどほどにして、
自分と自分の好きな人を幸せにすることを
009達には続けてほしいです。